会長の「あの人と話したい」シリーズ第三弾
皆さんこんにちは、未会広報室室長の向井です。
今回は、前城南中学校校長であり現在は学校法人 薫英学園 かおり幼稚園の園長を務めておられる山岡園長と未会の吉田会長の対談をお送りします。
山岡園長は城南中学校区における未会の地域活動を語る上で、無くてはならない存在です。では、なぜ無くてはならない存在なのか、そこに至るまでに会長と園長の何が共鳴したのか。今回の対談で紐解いていきたいと思います。
「突然アポイントも取らずに学校に押しかけて来たのですよ。」
-まずは、恒例ですがお二方の出会いのきっかけから教えてください。
山岡園長(以下、園長) あれは丁度、私が城南中学校に赴任して1年目の冬だったかと。
会長 そうですね、その頃だと思います。城南中学校に不登校の生徒が増えているという声が僕の耳に入ってきた頃ですから、よく覚えています。その声を聞いて「どういうことなんだ」と居ても立っても居られなくなり、アポイントも取らずに当時の校長を訪ねたのがきっかけです。
-まさに突撃という感じですが。
園長 そうでうね。それに近いという(笑)
会長 その時「もしも不登校の問題が学校だけで解決を図ることが難しいというのであれば、僕たち地域ともっと連携して行きませんか?」という提案をしたんですよ。
-吉田会長的には母校の不登校の状況を見て、危機感を覚えたということですか?
会長 そうです。素直に「何をしてくれてるんだ」という怒りにも似た気持ちでしたね。僕らの時代には不登校が少なくとも問題化するまでには至っていなかったわけですから。
園長 その当時の城南中学校の状況をお話すると、不登校の問題だけではなくそれ以外にもたくさんの諸課題を抱えていたんです。1年目の夏前の段階から、学校の力だけではなく関わりのある様々な方との連携を強く構築していかないと、諸課題の改善は期待できないだろうという結論には、至っていたんです。そういう経緯もあって学校単位で動き始めていた頃ではありました。
そんな中、会長がお見えになったという訳でしたから学校として進んでいる方向に、正に歩み寄ってくれたのだと感じましたね。
-互いにベストタイミングでの合流となったというわけですね。
園長 図らずもそうなりましたね。
会長 これをきっかけに、今も未会の活動として続いている世代間交流という取り組みが始まったんですよ。
-そうだったんですね。この世代間交流はどちらが企画されたんですか?
園長 これは会長からの提案でしたね。不登校という問題に学校単位で焦点を合わようとすると問題の解消というのは非常に難しいことなんです。というのも具体的に手を打ちにくい、打てたとしても直ぐに効果は出にくいという点があります。それに学校が踏み込めない領域に原因が及んでいることも多い。
だから会長とは、長い目で見たうえで「学校の雰囲気作り」こそが大事だと話しをしました。「城南中学校は地元とみんなで歩んでいく学校なんだ」という方向性をちゃんと示して、生徒たちにも「一緒に付いてきてくれよ」という姿勢と、学校と地域一丸となった雰囲気作りを行っていこうと。その取り組みの一つにこの世代間交流というものがありました。
小さな一歩でしたが、これを打ち出したことによって、学校は年々変わっていくことになります。
会長 不登校の子に対して、家まで行って連れ出してくるなんて言うのは未会にはできませんから、今後不登校を生まないように地元として学校との交流を進めていきながら「雰囲気作り」というのを確かめながら進めて行ったということですよね。
-それまでは地域との連携は少なかったんですか?
園長 もともと根強く地域の人たちが支えてくれている学校だとは思います。けれども今の課題としては何がどうなっているのか、どうすればいいのかというのをしっかりと話し合えたのが当時なのかなとは思いますね。
先にも述べましたが不登校という問題に対して、それだけのための対策を施してもやはり解決はしないんですよ。学校総体として安定した居心地のいい学校という学校像を作らないといけない。これに向けて色んな取り組みを進めて結果不登校が減っていくという進め方しかないんですね。
数字は控えますけれども、当時は本当に不登校が多かったんですよ。今では、それが激減しているのは事実です。完全に解消されているわけではないですけれど、数字として激減している。これはもう功を奏したと言ってもいいじゃないかなと思っています。
会長 当時、園長に話していたのはとりあえず地元として、生徒たちと交流させてほしいということでした。その中での世代間交流だったり、ボランティアとして講話に行かせてもらったり、人権問題学習を担当させてもらったりしました。具体的に交流が増えると生徒からも声をかけてもらえるようにもなりましたし、肌で地域と学校の連携を感じることができましたね。未会としても不登校や地域への貢献という意味でも光が見えたというか。
-不登校の生徒たちに学校として対応することの難しさってどういうものなのでしょうか?
園長 まず不登校になるには、生徒それぞれ理由やきっかけがありますよね。色んな理由がある中で、それが家の中の問題だった場合、これは学校としてはどうしても入り込むことはできませんね。ここに踏み込むには福祉の領域になってしまう。
保護者の方も「どうにか不登校を解決したい」と考えてはおられるんだけれど、結果として子供は不登校になってしまっている。こういうケースは非常に多いんです。こういう結果に対して、どう対処するかというのは学校としては枠組みでは非常に難しいんですよ。
なので対処ではなく、予防していくしかない。家に行って引っ張り出して連れて行くなんていう一昔前の対応は、子供にとって決して良いことではないんでね。だから雰囲気作りを進めて「通いやすい学校」を作っていく、居心地のいい空気というのを作るしかないんですよね。
-僕らが想像するよりも不登校の生徒の数は多かったんですね。
園長 それでもちょっと通い出すことによって「よく来たね」とか「頑張ってるね」って声を掛けてもらえる学校っていいじゃないですか。そういう学校にどんどんなっていきましたよね。保護者含めて未会や地域の方々の後押しを受けてということなんですけど。
-小さな一歩でも続けることで、効果って上がるんですね。
会長 基本的にこの地域の子供たちは心が豊かなんです。だから困っている子がいたら声を掛けられるし、助けてあげることができる。何かあれば、受け止めてあげられるっていう子供たちが多いんですよ。
園長 今の言葉からも感じられると思うんですけど、会長と最初にお会いした時、話の内容以上に会長のこういった「気持ち」というものに強く心を打たれたのを覚えています。だから今の城南中学校にも、そういうハートの先生は多いですよ。そういうハートが保護者の皆さんにも伝わっていったことによる、今だと思いますね。
-教職員以外が行う世代間交流なんていうのは、保護者からの了解って簡単に得られるものだったんですか?
園長 了解はとってはいないですよ。
-そうなんですか?
園長 当時、良いものはどんどん取り入れようとやっていました。学校だよりなんかでも未会のことを紹介していましたしね。連携するとなったときに、様々なことを調整することに重点を置いて、行動を躊躇してしまうと、せっかくの熱も冷めてしまうというか、波が引いて行ってしまいますから。それよりも今何が最優先課題なのかを念頭に置いて舵を切ったという感じですね。
会長 当時の校長の、このスタンスというのがすごく心強かったです。「絶対にこの学校を良くするんだ」という気持ちを感じましたし、これなら前に進んでいくなと感じましたね。
園長 私にとっての原点はやっぱり城南中学校校長としての1年目なんですよ。なんせ諸課題が山積している状態でしたから、そういう時ってやっぱりしんどいんですよ。そういう苦しい時に自ら協力を申し出てくれる未会のような熱い人たちの存在はありがたかったですし、やっぱり応えていこうと思いましたね。
-こうして今の城南中学校は作られたんですよね。
園長 先に会長も話しておられましたが、城南中学校区の子供たちっていうのは、本当にかわいいんですよ。駅前なんかで偶然ばったり会っても、うれしそうな、恥ずかしそうな顔してこっちを見ている。指導しなければならないような生徒も同じで、根本的にはかわいい子たちが多いんですよ。だからこそ、応えて行ってあげなければとも思っていました。問題はないけれども生徒と教師が時としてどこまで交わっているのかなという学校もあると思いますけれども、城南中学校は、そうではないっていうのは確かですよね。
-だからこそ世代間交流なんていう取り組みが見事にはまったと言えそうですね。
会長 初めはどうなるかっていうのは、見えない状況で野球部やバスケ部とクラブ単位での交流というものだったんですけど、続けて行くとその垣根を超えて参加人数が増えて行ったっていうのもよかったですよね。
園長 本当に何でもやりましたよね。
-これからのことは、お二人で何か考えがあったりされるんでしょうか?
会長 継続できる活動ですよね。活動が継続できるかどうかはとても大切ですし、僕らがいなくなっても次の世代が同じように学校と関わるっていうのが重要だと僕は思います。
これも現状に甘んじることなく「どうやっていけばもっと良くなっていくか」っていう成長と改善を踏まえた視点でとらえて行くべきです。そういう視点で城南中学校区のことを考えると、僕的には城南中学校を小中一貫校に押し上げたいなと考えています。
-それは大きな目標ですね。
園長 取り組みレベルでは、どこの地域もやっているんですよ。府立という形であれば、すでに存在もしていますしね。ただ城南中学校という単位で、取り組みレベル以上を目指すとなると行政的なものも含めた課題も出てくるとは思うんですよ。少し話を戻しますけど、今の活動を続けるっていうのは、こういう小中一貫校という目標に対しても非常に大切なことだと思います。
国としても小中一貫校を増やすという考えは持っているんですよ。その学校という施設が、ただの建物ではなくて、学校と福祉と地域を絡めた複合的な施設になれたなら、地域の活性化も大いに期待できますし、いい面での影響は非常に大きいですよね。
会長 地域の人たちも活用できるし、子供たちも地域を誇りに思えるっていうシンボルになると僕は思っています。
-このアイデアはどなたから出たんですか?
会長 これはもう園長ですよね。
-では原点となる1年目から?
園長 それはさすがに思えないですよ(笑)未会やその他の方々と学校が抱える諸課題に向き合っていった中で、子供たちの持っているものをもっと高めてあげられるんじゃないかなと思ったのがきっかけですよ。
会長 当時、その話を聞いたとき「絶対にやりたい!」と声をあげましたね。そのために未会は、何をすればいいのかということを模索し始めましたし。シープハウスも長い目で見れば、小中一貫校を目指す上での取り組みの一部になりますし、今年スタートすることになった防犯パトロールも僕らが地域を防犯して守っていくということが、この目標に繋がっていくと信じています。
地域に対して未会の役割を存分に発揮するというのは、山岡園長の当時のお言葉から火がついて、じゃあやれることは何なんだというのを考え抜いた結果が今ということなんです。
園長 今地域や学校は、安定しているように見えますね。赴任当時はそこまで見えていなかったんですけれども、今思うのは中学校は地域の「基地」のような、中心地だということ。だから中学校が、かちっと機能していないと地域はさざめくんですよ。
そういう意味でも小中一貫校というのが、ただ学校として良いものになるという訳ではなくて、地域にとって良いことに違いないと思います。
会長 できるできないは置いておいて「小中一貫校になりえる地域っていうのは、高槻においてはここ以外ないんだ」と強く発信するのは僕たちの務めだとも思います。地域にとって小中一貫校という目標は、どう受け止められるものなんですか?
園長 反対っていう反対はあまりないでしょうね。校区によっては、どこか一つに小学生が集まるっていのが地理的にしんどいっていう問題もあったりはしますけれども。城南はそれらの地理的な問題もないですから。
-小中一貫校が抱えるデメリットはどういうものなのでしょうか?
園長 今の形でいうと、小学校と中学校の間に段差がありますよね。これが要因となって不登校や、その他の問題が生じることもあります。小中一貫校となると、この問題が払しょくできると考えられるんですが、その反面こういう区切りや所謂関門みたいなものも大人になる上では必要だという意見もあるにはあります。
もう1つは財政的にもかかる金額は大きいですからね。なんせ今あるものを壊すことになりますから。そこの辺りの合意を、行政や地域から得ることができるのかというのがありますよね。
会長 つまりは9年生になるわけですよね。だから何かその間にあったら、ずっと先の何年間かついて回るというね。変化のない9年というのは、負のイメージにもなるんですね。
-そういうデメリットがあるからこそ地域との連携が必須なんですね。
園長 その通りなんですよ。京都市は小中一貫校を積極的に打ち出していて、JR沿線や阪急河原町駅なんていう中心部にも多く小中一貫校を作っています。その辺りの小学校というのは、明治に入ったぐらいから続いている小学校ですから、それ程の歴史を抱える学校を無くすっていうのはかなりの反対もあったと思います。そういう反発も抱え込んで、作っていっているわけですから、凄いものを作っているってことですよね。
-やるなら、とことんという感じがします。
園長 そうです。そうでなければ納得してもらえないということの表れでもあるんでしょう。凄く慎重に進めて、結果大胆に、しっかりと作りあげていますよね。
-都市計画とも絡むことになりますよね。
園長 その通りなんですよ。京都市は学校によってはJR京都駅から阪急の駅まで全てを校区にしていたりとか、都市区画をうまく用いて進めていますよね。
会長 そこまでするメリットがやっぱり小中一貫校というものには、あるってことですよね。中1ギャップもですし、小学校と中学校の人的交流による情報交換が密になることで広がるというのもありますし、未会は若松小学校、西大冠小学校、城南中学校と3つを拠点にした取組がありますけど、これも一つにまとめて行うことができます。
現にランランオープンスクールという素晴らしい取り組みが西大冠小学校ではありますけど、若松小学校では行っていない。これも一緒にやれば、もっといい効果が期待できるし、交流も広がっていくのは間違いないですよね。結果地域にとってもいいことに繋がるはずですからね。それぞれの学校に分断しているいいものを集約して、皆で共有できるというのはいですよね。
園長 教師から見ると、学習指導・生徒指導の両面から見て効果も上がりやすくなると思います。教員集団も大きくなりますから、今以上に指導しやすくなると思います
小学校がしんどい、中学校がしんどいという時には、助け合うこともできるでしょうしね。
-今、小学校と中学校の教員の交流ってあるんですか?
園長 日々の中ではその時間を作りこむというのは難しいですよね。現場ではそこまで動くのは物理的にやっぱりしんどいかなと思います。
会長 現場の先生は強く望んでいるんですかね?
園長 どちらとも言えないかな。でも、城南中学校区の先生たちは垣根が低いから、一緒に何かできるなら何かをやろうと、そういう考えにはなると思いますけれどもね。
一昔前であれば小学校と中学校では指導する感覚や方向も違いますから、相いれない部分も多かったんですけれども、城南中学校区の先生たちには全くそういうものはないですよね。これまでの活動の蓄積や関係性の構築があったからだと思いますけど。
会長 自分たちの先輩や先生方が、そうして来てくれたから土壌ができて、今があるってことなんですよね。ここは学校教育、地域教育に関しては前向きに良いものが作れているんじゃないかなと実感しています。
-今のような形になること園長は、当時想像されておられましたか?
園長 できなかったですよね。本当に。
-今30代の青年というか中年が、学校にここまで絡んでいるっていう地域は他にもあるんですか?
園長 ないですよね。受け入れにくい学校もあるかもしれないし、理由は様々あるとは思いますけど。本当にこういう連携というか関りがどんどん生まれていくという面でも城南中学校は楽しかったですね。
もっと本当は城南中学校に居たかったっていうのもあるんですけど、あんまり長居していくのもね(笑)。
会長 次の世代に引き継いでいくって格好よく去っていきましたからね(笑)だけど地域には、任期があるわけではないですから、先生が変わっても、またその新しい先生たちと関係性を築いて、連携を構築していくしかないわけで。その中でまた新しいより良い物が生まれることになるかもしれないしっていう楽しみもありますよね。逆もまたしかりで、物申さないといけないというか、アポイントなして突撃しないといけないというか(笑)
園長 最初に戻りましたね(笑)でも、文句があって来られたという感じはないというか、「協力できることはないですか?」という姿勢で入ってきてくれたので、その言葉に何にせよハートを感じましたからね。
結局のところは、気持ちがないとダメなんですよ。対生徒にしても同じで、気持ちをもって取り組めていないと響かないんですよね。
会長 子供たちの先生に対する接し方も、城南の子たちは違うと思いますね。心を開いているというか、そういう側面を見ると地域は安心できるし、そういう先生は園長がそういう先生だから集まったんだということですよね。
園長 一年目に課題が山積していたというのが、自分自身を高めてくれたというか、子供たちが本気にさせてくれたから今があるとも自分では思っています。付いてきてくれたんですよ子供たちが本当に。そういうことが未会を引き寄せてくれたし、地域の人たちの関心を集めることもできた。
会長 当時の子供たちからも校長を気遣う姿勢や発言もよく耳にしました。本当に城南地域の子供たちは心が豊かですよ。自分で先生たちや、僕たちの言葉を噛み締めて考えや思いを表現してくれていますよね。
-学校と地域、心豊かな子供たちという3者が揃った城南校区だからこそ小中一貫校というのも楽しみですね。
園長 本当に面白いですよね
会長 一つの夢だな。
-最後に、これからの未会に期待されることが何かございましたら。
園長 これからというより、今までのことを何としてでも継続していってほしい。それは城南中学校にも言えることですけど、その先にきっともっと新しい明るい何かがあるはずですから。
会長 仰る通りです。学校も地域も子供たちが主役ですから、その主役たちがどうやって気持ちよく過ごせるのかを考えて未会はやっていくべきですよね。僕たちもそうしてくれる大人に支えてもらってきたから。その先に小中一貫校というものがあるんじゃないかなぁという想いもありますし、見てみたいですよね。そんな未来をこの目で。
-未会のこれからがますます重要になりそうですね。今日はお忙しい中、たくさんお話し聞かせていただきありがとうございました。
園長・会長 ありがとうございました。
どうでしたか?それぞれの立場から見る城南中学校の未来なんていうのも垣間見れる貴重な対談となりました。
気持ちによって、気持ちで応えるというお二人の人物像。そのお二方だからこその地域や子供たちに対する想いがひしひしと伝えわってきましたね。またいつか、今とは違う形で必ずや合流するであろうお二方に、個人的に大いに期待してしまうような対談でした。近況報告会のような対談も先にできればなぁと思います。
次回は、高槻を代表するあのアーティストと会長との対談を予定しております。お楽しみに!